来月、近所のホールが閉店するらしい。
誰もが知る業界超大手で、周年日にはあふれかえる程に人がいて、
「潰れるわけがない」と思っていた場所だ。
特別な思い出があったわけじゃない。
時折、近いから見に行って、人が多くて嫌だなと思いながら打っていたホールだ。
そして当然、そこでも私は勝っていない。
私の負債、いや養分、いやもうホールの炭水化物と呼ぶしかない
70万円を抱えたまま、そのホールは去っていく。
回収なんてできなかった。
閉店するホールに、精算ボタンは存在しない。
負けたまま終わる。
それが現実だ。
この負けは、そのままだと本当に何も残さない。
ただ黙って消えていく。
勝てば思い出になる。
勝てば自慢にもなる。
でもこの負けは、誰にも語られず、どこにも残らない。
だから今まで、私は何も残せなかった。
でも、最近になって思うようになった。
負けそのものは消えても、
感情だけは、どこかに置いておかないと腐る。
記録を残す。
言葉にする。
発信する。
それだけで、
回収できなかった負けが、
少しだけ形を変える気がした。
これは勝ちでもないし、救いでもない。
ただの供養だ。
最近はホール自体が減っている。
選択肢も減り、
打てる場所も減り、
気づけば「養分でいる場所」すら無くなりつつある。
養分が、
養分ですらいられなくなる日が、
時代と一緒に、もうすぐそこまで来ている。
私は勝てない。
攻略も書けない。
期待値も語れない。
でも、負けを腐らせて、
次に何かを生やすことはできる。
回収できなかった70万円は戻らない。
けれど、それを何もなかったことにしないために、
負けを、腐葉土にするために。
▼このブログが何を積み上げようとしているか


コメント